四十の手習いからたどり着いた天職【えら部インタビュー記事より】

(※フリーペーパー:えら部のインタビュー記事より引用しています)

30代・40代で「何をした?」「何を学んだ?」

これまでの道のりから「今ココにある輝き」の理由を探り、素敵な40〜50代を送りたいと望むあなたにエールを贈ります。


東京で最もバブルな時代に、20代で仕事も遊びも謳歌し結婚。しかしその幸せな生活の先に、待っていたのは持病のアレルギーの悪化だった。

アレルギーは重度になり、喘息を併発し、40代には、リウマチも発症し要介護の認定を受け、寝たきりに。

その重なる病との戦いの中で唯一続けてこられたのがDECOクレイアートだったという。

四十の手習いで始めた趣味が、今、唯一できる仕事となった。

沖縄の土地でようやく病状も改善されつつあり、DECOクレイ教室再開に意欲を見せる馬場さんに、今昔の話を伺いました。

 

結婚3年後にアレルギーが重度へ…

20代はちょうどバブル時期で東京の外資系企業で働いていました。

夏はテニス、冬はスキーサークル。中華やフレンチの美味しいお店は「絶対ココ」と皆で共有し、バブルをアクティブに楽しんでいました。

その頃はスギの花粉とモヘアの毛がダメなくらいで特に薬に頼ることもなかったのですが、29歳で結婚して3年頃から、色んなアレルギーが発症し始めました。

食物アレルギー(米・大豆・たまねぎ・ニンニク)、花粉症、動物アレルギーから吸入アレルギー、接触アレルギーなど全般。食べられるものは書いた方が早いほど。

喘息の発症を機に、完全除去食になりました。

米・大豆が全くダメなので「myしょうゆ」を持ち歩いたり、沖縄から食べ物を取り寄せたりしていました。

 

アレルギーだから出会えたDECOクレイ

結婚後は皮膚科(個人医院)で勤めたのでアレルギー症状が悪化しつつも、先生やスタッフのおかげで仕事と生活ができました。

喘息発症後は、仕事場と家の往復で、人と会うこともない。子どももいないし主人が帰ってくるまで暇で暇で、観葉植物の葉を吹き始めた自分にハッとさせられ、自宅でできる趣味を探し始めました。

花が大好きなのに生花もプリザーブドフラワーも造花もアレルギーで触れない。そして見つけたのがDECOクレイでした。唯一触れられた粘土で、作りたいものができるのです。

軽くて柔らかくて丈夫でどんな繊細な花も大きな花も本物そっくりに作れるのが魅力。花は咲き続け、ケースに入れずにできるのでプレゼントにも喜ばれました。

その後、喘息をコントロールしながら、横浜に引越し、毎日欠かさず粘土で花をつくっていました。

お教室に行かれない時は、先生が来てくださいました。

家にいる時間が長くなると思い、自宅で教室もはじめました。

その時はちょうど習い事ブームで、仕事にするというよりはブライダルブーケを自分の手で作りたいという生徒が多く、中でも「プルメリアで」という要望が一番多かったです。ブーケのオーダーも受けていました。

そんな折に次はリウマチが発症。44歳の時でした。痛くて動けない…発作は多くなり、主治医の勧めで介護認定を受け、ヘルパーさんの力を借り、主人に支えられて生活していました。少しでも症状がよくなるならと、暖かくて花粉(木や草)のない沖縄に移住しました。

 

沖縄で沖縄の花を届けたい

沖縄に来てからは症状が緩和し、なんとか自分のことは出来るようになり介護認定を解除し教室を始めましたが、また症状悪化するしていく事があり、教室を辞めて一旦は廃業しました。

しかし去年、転院し、ようやく症状がよくなり現在は教室を再開しています。

DECOクレイはまだ沖縄で全然知られていないので、まずは知ってもらいたい。でも私の今の体力では限界があり普通にはできない。だとしたらやはり「自分で作れないなら講師を育てよう」と考えました。

私はいろいろなことができない分、「これだけはできる」というものがあって幸せです。

働き方も自由で、自分のペースで好きなことが仕事になります。

講師であれば、いつでも誰でもいつからでもできます。

 

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